宮崎地方裁判所 平成6年(ワ)314号 判決 1997年1月31日
原告
御池観光有限会社
右代表者代表取締役
日髙幸作
原告
有限会社狭野ストアー
右代表者代表取締役
日髙幸作
原告
古賀孝治
右三名訴訟代理人弁護士
前田裕司
被告
都城市
右代表者市長
岩橋辰也
右訴訟代理人弁護士
小城和男
右指定代理人
高田橋厚男
被告
高原町
右代表者町長
横田修
右指定代理人
吉田紀雄
外一名
被告
高崎町
右代表者町長
河野一郎
右指定代理人
佐藤忠房
外二名
被告
高崎町土地改良区
右代表者理事長
海老原正美
右三名訴訟代理人弁護士
殿所哲
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一 請求
被告らは各自、原告御池観光有限会社に対し四一七万六四二一円、原告有限会社狭野ストアーに対し四六七万六三二一円及び原告古賀孝治に対し三二四万五五〇六円並びにそれぞれ右金員に対する平成五年一〇月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二 事案の概要
本件は、御池湖畔において食堂等を経営する原告らが、平成五年六月から九月にかけての集中豪雨の結果御池が増水して浸水等の損害を被ったことにつき、被告らが御池の水位を管理する上で、施設上の瑕疵又は管理上の過失があったとして、被告らに対し、国家賠償法二条又は民法七〇九条に基づく損害賠償を求めている事案である。
一 争いのない事実等
1 御池は、霧島屋久国立公園の特別地域に指定されており、霧島山系の雄峰である高千穂峰の東腹海抜約三〇五メートルに位置する霧島火山群中最大(周囲約四キロメートル、直径約一キロメートル、湖面面積七二ヘクタール、最大水深93.5メートル)の火口湖であるが、自然流出河川のない閉鎖性湖であり、人工的な排水機能を有する施設としては、御池北東部に設置された取水口から暗渠水路及び開渠水路を順次経由して御池川に到達する灌漑用水路(以下「御池用水路」という。)があるだけである。
2 原告らは、いずれも御池の観光業者であるところ、原告御池観光有限会社(以下「原告御池観光」という。)は貸ボート業及び遊覧船業を営んでおり、原告有限会社狭野ストアー(以下「原告狭野ストアー」という。)及び原告古賀孝治(以下「原告古賀」という。)はそれぞれ「御池やまなみ荘」及び「御池湖畔荘」の名称で、御池東側湖畔において食堂及び土産物販売店を営んでいる。なお、「御池やまなみ荘」と「御池湖畔荘」の中間に、田中吉子の経営する食堂及び土産物販売店である「御池荘」があり、また、御池西側湖畔には高原町観光協会が管理運営する御池キャンプ場があるが、他に御池湖畔における営業や建築物所有を認められた者はいない。
3 被告都城市、同高原町及び同高崎町は普通地方公共団体であり、被告高崎町は、土地改良事業を施行する主体として、その区域内にある被告高崎町土地改良区を指導、監督及び助成する立場にある。
被告高崎町は、御池用水路定着物(暗渠入口前に設置された水門定着物等を含む。右水門を以下「本件水門」という。)を所有しており、被告高崎町土地改良区がその管理に当たっている。
他方、御池及びその湖畔は、行政区画上、被告都城市及び同高原町の境界に位置する国有地であるが(ただし、御池付近の境界は未確定である。乙一六、一七)、被告都城市及び同高原町は、御池の水位及び御池用水路の実際の管理を行っていない。
4 本件水門は、暗渠入口の前2.7メートルの位置に吊された鉄板(高さ3.2メートル、幅九〇センチメートル。以下「ゲート」という。)で御池から暗渠水路に流れ込む水をせき止めるよう設計されており、このゲートを巻き上げ装置によって引き上げると、ゲート下部と水門最底部との間に隙間ができ、そこから御池湖水が暗渠水路へと流れ込む。これに対して、ゲートを降ろしたままの状態にしておくと、右隙間を通じて湖水が水路に流れ込むことはなくなるが、水位が水門最底部から3.2メートルを超えて上昇すると、湖水がゲート上部を越流して水路内に流入する。
なお、本件水門の前部には、水路に流木等が流れ込むことを防止するため、高さ約2.6メートルの防護柵が設けられている。
二 原告らの主張
1 国家賠償法二条一項にいう「公の営造物」は、公物(公の目的に供用されている有体物)一般を指し、自然の状態のままで既に公共の用に供せられうる実体を備えている河川、湖沼及び海浜等のいわゆる自然公物を含む。
御池の湖畔は、環境庁により「野鳥の森」に指定され、宮崎県により自然遊歩道が設置され、被告高原町営のキャンプ場等が存しているのであるから、それ自体観光施設そのものである。御池とその湖畔は、公共の用に供せられるいわゆる公共用物であり、右の「公の営造物」に該当する。
2 御池管理上の瑕疵又は過失
(一) 被告高崎町及び同高崎町土地改良区について
被告高崎町は本件水門の所有者として、被告高崎町土地改良区は同高崎町から本件水門の管理を委ねられているものとして、本件水門の管理責任を負っている。そして、御池の水位の調整は本件水門の開閉による以外に方法がないのであるから、被告高崎町及び同高崎町土地改良区は、本件水門の管理を通じて御池湖水の水位についても事実上管理する立場にあった。
そこで、被告高崎町及び同高崎町土地改良区は、本件水門の本来の設置目的が灌漑にあったとしても、増水の際に本件水門を開けなければ、湖畔が水没し、原告らの所有物や被告高原町営のキャンプ場等に損害が発生することは十分に予測しうるのであるから、①御池の水位を常時測定し、一定の水位に達したならば、本件水門を開けて湖水を放流するなどの義務を負担していたところ、平成五年六月中旬ころから集中豪雨のため御池の水位が上昇し始めたにもかかわらず、右義務の履行を怠り水位を上昇させ、同年一〇月上旬には湖畔を完全に水没させてしまった。また、被告高崎町及び同高崎町土地改良区は、②本件水門の構造を流木が流れ込んで取水口を塞ぐことのないようなものにしておかなければならず、さらに、③取水口に大量の流木が詰まって機能不全に陥ったような場合には、これらの閉塞物をすみやかに除去して、取水口としての機能を回復させるべき義務を負っていたにもかかわらず、流木が詰まり本件取水口がその機能を果たさなくなったことを知りながら、その除去を怠った。
そうすると、御池は通常有すべき安全性を欠いた状態で管理されていたものであるとともに、被告高崎町及び同高崎町土地改良区は御池の水位管理上要求される注意義務に違反していることから、被告高崎町及び同高崎町土地改良区は、国家賠償法二条又は民法七〇九条に基づき、原告らが右管理上の瑕疵又は過失により被った損害を賠償する責任を負う。
(二) 被告都城市及び同高原町について
(1) 御池は、国有財産であり、かつ、河川法等の公物の管理に関する特別法の適用又は準用を受けない法定外公共用物である。
国有財産である法定外公共用財産の財産管理(所有者としての財貨的管理)は、国から委任を受けた都道府県知事により行われるのに対し、同財産の機能管理(公共用物としての機能を維持するための管理)は、国有財産法一条、地方自治法二条二項及び同条三項二号に基づいて、本来的に地方公共団体の事務として予定されているものである。
そして、法定外公共用財産の規模は一般に小さく、地域生活に密接に関わっていることに鑑みると、地方公共団体の中でも市町村にのみその権限と責任があると解すべきである。
御池の場合も、その行政区域は被告都城市と同高原町にまたがっているものの、規模が小さく、地域生活に密着した利用がなされていることから、その機能管理(取水量や水位の管理)は地方自治法二条六項所定の「広域にわたる事務」には当たらず、被告都城市及び同高原町がその権限と責任を有しているものと解すべきである。
(2) 被告都城市及び同高原町は、雨水や湧き水の流入に加え、都城市所在の青少年の家や高千穂牧場の排水等の流入により、御池の水位が上昇する可能性が高まっていたにもかかわらず、本件水門の実際の管理者である被告高崎町や同高崎町土地改良区と協議の上、取水口からの取水量や御池の水位を計測し、水位が一定水準以上になった場合には、本件水門を開けるなどの措置を採るべきことを定め、また、本件取水口を拡大したり、新たな排水口を設置したりするなどの措置を検討すべきであったのに、これを怠り、御池を通常有すべき安全性を欠いた状態で放置したのであるから、国家賠償法二条に基づく損害賠償責任を負う。
3 損害
(一) 原告御池観光の損害
(1) 売上高減少による損害
二三三万八五九九円
(2) 手漕ぎボート一〇隻の損壊による損害 一〇六万五七六五円
(3) モーターボート船外機故障による修理費 三万七八二二円
(4) ボート小屋二棟の損壊による損害 一九万七八六五円
(5) 拡声器及びマイク故障による修理費 五万一二〇〇円
合計 三六九万一二五一円
(二) 原告狭野ストアーの損害
(1) 売上高減少による損害
三三七万六三二一円
(2) 電気器具及び冷凍機の損壊による損害 二〇万円
(3) 在庫商品等除去諸雑費一〇万円
(4) 建物の損壊による修理費
一〇〇万円
合計 四六七万六三二一円
(三) 原告古賀の損害
(1) 売上高減少による損害
一九七万〇〇〇六円
(2) 浸水による食用魚池、石垣及び樹木損壊による修理費等
五七万九九二五円
(3) 水道用ポンプの損壊による修理費 三万八五〇〇円
(4) 自動販売機の損壊による損害
二〇万円
(5) 自動販売機在中の商品損壊による損害 一万九九五〇円
(6) 一時転居を余儀なくされたことによる損害 七七万二五四三円
合計 三五八万〇九二四円
三 被告都城布の主張
1 国家賠償法二条にいう「公の営造物」は、人工的に手を加えた物的設備を意味するものでなければならないところ、御池は、風光明媚な自然の景観を保持した湖であって、何らの人工的な工作はなされておらず、かえって自然公園法により手を加えることが制限されている、いわゆる自然公物であるから、「公の営造物」には該当しない。
2 御池は霧島屋久国立公園内の特別地域に指定されており、自然公園法一七条三項に基づく環境庁長官の管理下にあるから、法定外公共用物には当たらず、被告都城市が地方自治法二条三項二号等により御池に関する管理権限を有することはない。また、被告都城市は御池を事実上管理したこともない。よって、被告都城市は御池の管理者に当たらない。
3 損害の発生及び因果関係につき争う。
四 被告高原町、同高崎町及び同高崎町土地改良区の主張
1 御池は、約三〇〇〇年前に形成された火口湖であり、浜、湖水、その他の物はすべて自然そのものであって、自然公園法一〇条、一七条一項により霧島屋久国立公園内の特別地域に指定されているから、国又は公共団体が一定の目的に供するために直接これを支配し設置管理している有体物又は物的設備とはいえず、国家賠償法二条にいう「公の営造物」に当たらない。
2 被告高原町、同高崎町及び同高崎町土地改良区は、御池の湖水面の水位管理を行ってはおらず、また右管理義務も負担していない。
なるほど被告高崎町は御池用水路定着物を所有しており、被告高崎町土地改良区はその管理を行っている。しかしながら、同用水路は灌漑用取水を目的として設置されており、したがって、稲作期間以外の取水は予定されておらず、また稲作期間であっても、取水により御池川、湯之元川及び高崎川が増水するおそれがあるときは、御池の水位上昇にかかわらず、取水を制限することが前提とされている。そうだとすると、被告高原町、同高崎町及び同高崎町土地改良区が御池の湖水面の水位管理の責任を負っているということはできないからである。
3 仮に、被告高原町、同高崎町及び同高崎町土地改良区が御池の水位管理上の義務を負っているとしても、御池用水路が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態であったかどうかは、同用水路の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して、水害発生の危険性、それについての予見可能性及び結果回避可能性の諸条件を判断しなければならない。
本件においては、①御池用水路の構造自体に瑕疵は存在しないこと、②御池への周辺からの膨大な集水量に比し、同用水路からの排水能力は毎秒最大1.4立方メートルに過ぎないこと、③平成五年七月から九月までの間に、本件取水口内に流木が流れ込んだことはあるが、それによって本件取水口が塞がって水が流れなかったことはなく、その間本件取水口より常時毎秒1.4立方メートルを超える量の取水をしていたにもかかわらず、御池の水位は基準高(水門の最底部)から最高約5.7メートルに達したこと、④平成五年六月以降の御池付近における降雨量は未曾有のものであり、御池の排水機能(自然による蒸発、地中への浸透及び本件取水口を通じての取水)をはるかに越えたこと、⑤本件のような豪雨の場合は、本来、本件取水口からの取水を中止しなければならなかったにもかかわらず、原告らの要請により取水が継続され、御池川、湯之元川及び高崎川付近の農地等に多大の被害を及ぼした経緯があること等の事情が認められる。
そうだとすると、御池の水位管理に関し、何らの瑕疵も認められないし、また、被告高原町、同高崎町及び同高崎町土地改良区の管理にも過失は認められない。
4 損害の発生及び因果関係につき争う。
五 争点
1 御池は国家賠償法二条一項所定の「公の営造物」にあたるか。
2 被告らは御池の管理者といえるか。
3 御池の管理状態は、営造物が通常有すべき安全性を欠いていたか。被告らの御池に対する管理には過失が認められるか。
第三 争点に対する判断
一 当事者間に争いのない事実並びに証拠(甲一ないし一七、一九ないし二一、二三、二四、二五の1、2、二六、乙一、二、三の1ないし3、四、五の1、2、六、八ないし一五、二四ないし三二、三三の1、2、三四ないし三六、三七の1、2、三八ないし四〇、四二、四三、四四の1、2、証人佐藤忠房、同吉田紀雄、原告御池観光有限会社及び同有限会社狭野ストアー代表者、同古賀孝治、調査嘱託の結果)及び弁論の全趣旨(釈明処分としての検証の結果等)により認められる事実を総合すると、本件に至る経過は以下のとおりである。
1 御池用水路設置及び利用の経緯等
(一) 御池及びその湖畔は霧島屋久国立公園内の特別地域に指定されており、環境庁長官(ただし、従前は厚生大臣の所管であった。)の許可を受けずに、工作物を新築、改築又は増築し、木竹を伐採し、池の水位又は水量に増減を及ぼすなどの行為をしてはならないとされている(自然公園法一〇条、一七条)。
御池から毎秒1.4立方メートルの湖水を取水するよう施設された取水口、暗渠水路長さ157.0メートル及び開渠水路長さ620.3メートルから成る御池用水路は、明治四一年ころ、宮崎県北諸県郡高崎町の大牟田及び縄瀬原の台地等を灌漑する谷川用水起業の一環として企画された。三池土木株式会社は、大正四年ころ、谷川用水路及び御池用水路を完成させ、両用水路にかかる水利権を取得した。これにより、御池湖水は、御池川、湯之元川および高崎川を順次流下し、高崎川に新たに設置された谷川堰堤(取水量毎秒1.6立方メートル)その他の堰堤から引水されることとなった。
ただし、御池用水路による取水には、国立公園内にある御池周辺の自然の生態系に不測の変化を及ぼさないよう配慮し、また下流河川の周辺農地等に対する災害を未然に防止すべく配慮して、①許可なしに用水路又は取水量を変更することはできない、②御池より取水する期間は稲作期間(毎年五月から九月まで)とする、③豪雨等により御池川、湯之元川および高崎川が増水するおそれがあるときは取水することはできない、④取水期間には、監視人を常置して、関係河川の水量に応じて取水量を調整する、⑤用水路開削のため、下流河川及びその沿岸を破壊し、又は破損するおそれがあるときは、その修理等のため必要とされる工事等を命じられることがある等の条件が付された。(甲一三、乙一三ないし一五、二九、三八、三九、証人佐藤、同吉田、検証の結果)
(二) 中村國一は、昭和一四年、三池土木株式会社から、谷川及び御池用水路にかかる水利権並びに水路敷及び井堰等を譲り受けたが、昭和二三年一二月一六日、被告高崎町に対し、右水利権等を代金八万円で譲り渡した。
被告高崎町は、昭和二三年一二月二五日、御池用水路の敷地である宮崎県西諸県郡高原町蒲牟田小林事業区長尾国有林「83い外」林小班0.0756ヘクタールを所轄する小林営林署に借地権譲渡願を提出し、同月二六日、宮崎県知事に対し、右水利権等の名義変更願を提出したところ、宮崎県知事は、昭和二五年八月一四日、右水利権等の譲渡を許可し、宮崎県小林営林署長は、昭和二九年一二月一五日、右借地権譲渡を許可した。(甲一三、乙二、一四、一五、三九、証人佐藤)
(三) その後、被告高崎町は、昭和二六年、御池用水路の取水口に設置された水門(桶門)につき、復旧工事を行った。
当時の取水口の構造は板掛越流方式であって、暗渠入口の前約2.4メートルの位置に設置された切石の間に、長さ約1.15メートル、幅及び厚さ約0.15メートルの角板を一枚ずつ横にして積み上げ又は取り外して、取水量を調整した。湖水は、右はめ板を越流して取水口に流れ落ち、暗渠水路及び開渠水路を順次通過し、御池川に流れ落ちた(御池用水路と御池川の合流地点は落差が約二〇メートルある滝状になっている。以下右合流地点を「滝下」という。)。なお、流木や木屑等が暗渠水路に流れ込むのを防止するための柵等は設置されていなかった。
被告高崎町は、御池用水路の管理を谷川土地改良区に委ねており、さらに、同土地改良区は、右板掛作業等を、高原町蒲牟田在住の宮永久雄及び園田末治に委託して実施させていた。
そこで、原告ら御池湖畔の観光業者は、御池が増水した場合には、右宮永らに依頼して、右はめ板を外し、御池用水路の排水量を増やすという便宜を図ってもらっていた。
(乙三の1、2、三八、三九、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀)
(四) ところが、昭和三八年八月ころ、御池用水路の水利権を巡って、上流に位置する高原町在住の農民と下流に位置する高崎町在住の農民との間に紛争が生じた。そこで、被告高崎町及び同町内の各土地改良区は、協議を重ねた結果、高原町の中でも祓川地区と血捨の木地区に対しては、従前から御池川や湯之元川から取水していた経緯を踏まえ、被告高崎町と同等の水利権を認める旨約した。(甲一三)
(五) その後、被告高崎町土地改良区が昭和四一年一一月一五日設立され、昭和五七年八月五日には、谷川土地改良区、赤水土地改良区及び柏田土地改良区を吸収合併し、谷川土地改良区が行っていた御池用水路の管理を引き継いだ。(乙三九、証人佐藤、同吉田)
(六) 被告高崎町土地改良区は、昭和五六年三月、御池用水路の水門改修工事を実施し、板掛堰を廃し、暗渠入口の前2.7メートルの位置に前記ゲートを吊り下げた。ゲートはその上部に接続されたシャフトを介して、水門最上部スラブに設置された脱着式手回しハンドルで上下され、湖水は、ゲート最下部と水門最底部との間にできた隙間から暗渠水路に流れ込んだ(以下「巻き上げゲート方式」という。)。
また、右改修の際、ゲート最下部と水門最底部との間に枯損木や木の枝等が詰まらないよう、ゲート前約九メートルの位置に、高さ2.6メートル、上辺幅2.88メートル、下辺幅1.12メートルで、縦4.4センチメートル間隔の格子状の平鋼板製柵(以下「スクリーン」という。)を設置した。なお、御池用水路の構造等については、別紙①ないし③記載のとおりである。
実際のゲートの開閉は、昭和五八年一一月以降、前記宮永らに代わり、被告高崎町土地改良区の理事である松永春之が、保管するゲート巻き上げ用ハンドルを使って行い、平成六年四月以降は、松永司がこれを引き継いだ。そのため、原告らは、従前宮永らに対し行っていた排水量増加の要請を行えなくなった。また、松永春之は、毎年五月から九月にかけて、ゲートを三〇センチメートル前後巻き上げ、開渠水路の深さのおよそ半分程度の排水をしたが、下流水路や河川の安全を保つため、ゲートの巻き上げ量は最大四〇センチメートルとしてきた。
(甲一三、一四、乙三の1ないし3、一五、三八、三九、証人佐藤、同吉田、原告古賀、検証の結果)
(七) 建設省宮崎工事事務所大淀川砂防出張所が昭和五九年高原町祓川地区において実施した御池川三面張改修工事及び同地区在住の農民がその後実施した取水口設置工事の結果、御池川の表流水がほとんど祓川地区の水田に流入し、湯之元川及び高崎川に達しなくなったことから、昭和六〇年六月ころ、被告高崎町土地改良区と高原町祓川地区との間で、水利権にからむ紛争が再燃した。両者は北諸県農林振興局に調整を求めたが、そのころ、原告らから、被告高原町や同高崎町土地改良区に対し、御池の水位に関する基準を設定するよう申入れがあり、右水位に関しても協議が持たれた。
宮崎県北諸県農林振興局農地整備課は、昭和六〇年一〇月、御池は観光資源であるという面も有するが、基本的には灌漑用水であるので可能な限り貯水しなければならない旨記載した「高崎川水利使用調査報告書」を作成し、被告高原町及び同高崎町が協議して御池用水路の水利及び御池の水位等に関する管理体制を確立するよう指導した。
そこで、被告高崎町土地改良区は、このころから、原告らが、被告高原町の経済課商工観光係(その後は耕地課)及び被告高崎町耕地課を順次経由して、御池の水位を下げるよう要請した場合には、天候の動向、下流河川の水量及びその周辺農地の状況等を勘案して、できる限りその要請に応じるという運用をするようになった。
また、被告高崎町、同高崎町土地改良区及び同高原町らは、昭和六二年一〇月ころまでに、①高原町祓川地区の御池川両岸に設置された取水口を小径のものと取り替え、②御池のゲート上部から放流できるよう横桁を被告高原町の費用で撤去する等で合意し、同工事を施工したが、御池の水位管理に関する合意は行わなかった。
さらに、昭和六三年春ころから御池に赤潮が発生するようになったため、宮崎県小林保健所、被告都城市、同高原町、同高崎町及び同高崎町土地改良区らは、その対策を協議したが、その際、畜産排水やキャンプ場からの排水等のほか、御池水門の改修により湖水の中間層が取水されるようになったことが原因として検討された。そこで、被告高崎町土地改良区は、平成二年冬以降、御池の水質を保全すべく、冬期の貯水利益を放棄して、ゲートを常時約二〇センチメートル開け、御池の水位を下げて、表面水だけを流出させるようにした。
(甲一二ないし一四、乙三九、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀)
2 御池の水位
御池の集水面積は五七六ヘクタールという広大な地域であって、高千穂峰から降雨時に流れ込む集水量は膨大である。
通常の降雨の場合は、周辺の山林から流れ込む「集水」と、①御池用水路からの取水、②御池湖底から浸透して高原町祓川地区や湯之元地区に湧水する浸透水及び③自然の蒸発による「排水」とのバランスがとれているが、豪雨の際には、集水量(たとえば一日二〇〇ミリメートルの降雨の場合には、八五万二四八〇立方メートルの水が流入すると考えられている。)が排水量を上回り、御池の水位が上昇することになる。ただし、周辺山林の保水能力、霧島山麓からの御池への浸透水及び御池湖底からの周辺地域への浸透水等を含め、御池の水量の増減の機序は必ずしも明らかになっていない。
(乙四、一二、三八、三九、証人佐藤)
3 御池用水路の排水能力
御池用水路の水路部分は、三型式の暗渠水路と四型式の開渠水路で構成されており、その排水能力は、暗渠水路入口部分で毎秒約3.33ないし5.17立方メートル(水位二ないし四メートルの場合)であり、開渠水路のうち、一号型水路は毎秒約2.46立方メートル、二号型水路は毎秒約2.16立方メートル、三号型水路は毎秒約2.42立方メートル、四号型水路は毎秒約2.87立方メートルである。そして、最も排水能力の低い二号型開渠水路の能力をもって御池用水路全体の能力とみるべきである。なお、二号型開渠水路の北東側の山林は斜面状に三〇ないし五〇メートル下降しており、国道二二三号線が斜面下を右水路と並走していることから、右能力を越える排水があると、右斜面を越流し、山腹を決壊させ、国道二二三号線を遮断する危険がある。
また、降雨時には、開渠水路周辺の山林約一〇ヘクタールから同水路に雨水が流れ込むので、御池用水路の排水能力は右水量分減少する。たとえば、一時間当たり五九ミリメートルの降雨があった場合には、毎秒約0.74立方メートルの雨水が流入することになり(流入率四五パーセントで計算。)、同用水路の排水能力は毎秒約1.42立方メートル(二号型開渠水路の内水深約0.46メートル)となる。
さらに、ゲートの巻き上げ量と御池用水路の排水量との関係につき、実験値を基に算定すると、御池の水位が基準高から3.2メートルの場合には、一〇センチメートル巻き上げたときは毎秒約0.46立方メートル、二〇センチメートル巻き上げたときは毎秒約0.91立方メートル、三〇センチメートル巻き上げたときは毎秒約1.36立方メートル、四〇センチメートル巻き上げたときは毎秒約1.79立方メートルであると考えられる。
(甲一六、乙三の1ないし3、一五、三三の2、三八、三九、証人佐藤、検証の結果)
4 原告らの営業及び土地利用等
(一) 御池の貸ボート業者が共同して昭和三五年一一月三〇日に設立した有限会社である原告御池観光は、昭和三九年八月一一日、厚生大臣から、自然公園法一四条三項による霧島屋久国立公園御池舟遊場事業執行の認可を受け、その後も、湖畔の水際に、移設が可能なボート貸出事務所を建築所有し、営業を継続して来た。(甲一〇、一九、二五の1、2、二六、乙四〇、四三、証人吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
(二) 原告古賀の先代古賀米男は、昭和二七年五月二三日、厚生大臣から、自然公園法一七条三項一号による霧島国立公園特別地域内における工作物の新築にかかる許可を受け、御池増水による浸水被害を避けるため約1.2メートルの盛り土をした上に「御池湖畔荘」(床面が水位基準高から6.11ないし6.51メートルの高さにある。)を新築し、食堂及び土産物店の営業を開始した。
その後、古賀米男は、昭和四四年及び昭和四七年の二度にわたり、それぞれ厚生大臣及び宮崎県知事の許可を受けて、右建物を増築するとともに、古賀米男及びその家族は、昭和四八年ころ以降は、右営業を継続しつつ、同建物に居住するようになった。
(甲二四、乙五の1、四〇、四三、証人吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
(三) 原告御池観光と同狭野ストアーの代表取締役を兼任する日髙幸作(以下「日髙」という。)は、昭和四〇年九月三日、厚生大臣から、自然公園法一七条三項一号による霧島屋久島国立公園特別地域内における二階建店舗(食堂、土産物店)兼住居の新築を、建物の周辺に修景のため植栽をおこなうことを条件として許可され、「御池やまなみ荘」(床面が水位基準高から5.63ないし6.18メートルの高さにある。)を新築したが、御池荘や御池湖畔荘の敷地より六〇センチメートルから1.16メートル程度高い位置に敷地があったことから、盛り土を行わず、高床式の構造にもしなかった。
その後、日髙は、観光客の増加に対応するため、昭和四五年六月一三日厚生大臣の許可を受けて、御池やまなみ荘を増改築したが、その際にも、高床式家屋に改造しなかった。
(甲一ないし八、乙五の1、四〇、四三、証人吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、検証の結果)
(四) 原告らの土地利用関係
御池やまなみ荘及び御池湖畔荘の敷地のうち、建設省所管の国有地(一般公共用財産)を管理する宮崎県小林土木事務所は、右土地がいずれも国立公園内にあるため、名目上、被告高原町に対し、その占使用を許可し、同土地は、被告高原町から原告古賀(先代を含む。)及び日髙に対し、転貸された。そこで、原告古賀及び日髙は、被告高原町に対し、被告高原町は右土木事務所(宮崎県知事)に対し、それぞれ土地使用料を支払い、右貸借関係を更新してきた。ところが、本件紛争の発生により、平成六年四月一日以降、被告高原町の右占使用権は更新されていない。
また、御池やまなみ荘及び御池湖畔荘の敷地のうち残る部分は、農林省所管の国有地であり(争いがない。)、古賀米男は小林営林署長から、日髙は高崎営林署長から、それぞれ使用を許可されている。ただし、いずれについても、右土地につき、営林署長の責に帰することのできない天然自然の災害、すなわち水害及び土砂の崩壊・流出等による損害が生じても、営林署長は補償の義務を負わない旨の特約が付加されている。
(甲四ないし六、九ないし一一、二三、乙一、四〇、四三、証人吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者)
(五) なお、豪雨による湖面水位の上昇は、過去にも、昭和四四年(年間降雨量三一〇一ミリメートル、五月から八月の降雨量二一三一ミリメートル)、昭和五五年(同じく三七三二ミリメートル及び二二二九ミリメートル)、昭和六三年(同じく二二八五ミリメートル及び一三九三ミリメートル)、平成二年(同じく三一六五ミリメートル及び一六六七ミリメートル)、にあり、原告らの要請を受けた前記宮永らや被告高崎町土地改良区が御池用水路の排水量を増やすなどして対処したものの、原告らの店舗付近の浜辺や駐車場が冠水するなどした。とりわけ、昭和四四年の増水時には、御池荘の建物のうち、高床式でない店舗及び食堂(床面が水位基準高から5.21メートルの高さにある。)は床下浸水を来した。
しかし、従前、御池用水路が枯損木等により閉塞したことはなく、また、盛り土の上に建築された御池湖畔荘や高床式建築である御池荘の一部建物(床面が水位基準高から6.84メートルの高さにある。)は、平成五年の集中豪雨も含め、過去に浸水被害を被ったことはない。他方、高原町観光協会が御池西側湖畔において管理運営している御池キャンプ場のテント設営場は、昭和三〇年代初期に、盛り土をするなどして設置されたが、平成元年ころ、高床式の構造に変更されている。
(乙五の1、三九、四〇、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
5 本件水害について
(一) 平成五年五月以降の御池付近における降雨状況は、別紙④の1ないし3「雨量欄」記載のとおりであり、同年五月の月間降雨量は二二八ミリメートル、六月は一二九五ミリメートル、七月は一五二三ミリメートル、八月は八四四ミリメートルであって、五月から八月までの合計雨量は三八九〇ミリメートルとなり(昭和三〇年以降の五月から八月の平均雨量は一六五四ミリメートル。)、また年間降雨量は五四六六ミリメートルに達している(昭和三〇年以降の年間降雨量は平均二九一四ミリメートル。)。これは、記録が残されている昭和三〇年以降、一度も経験したことのない集中豪雨であった。なお、御池湖水の水位の変化は別紙④の1ないし3「実測水位欄」及び同⑤記載のとおりである。(乙四、五の1、2、六、三三の1、三五、三八ないし四〇、四四の1、2、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者)
(二) 平成五年六月一〇日ころの御池の水位は、水位基準高から約一〇センチメートルまでであったが、平成五年六月一二日及び同月一三日の合計二四七ミリメートルの降雨により増水が始まり、その後も同月一八日、同月二二日、同月二五日と日降雨量一〇〇ミリメートルを越す豪雨が続き、同月末ころには、水位約3.4メートル(ゲートを0.2メートル越流。)に達していた。
被告高崎町及び同高原町は、連続する豪雨災害に対応するため、各々災害対策本部を設置していたところ、被告高原町の災害対策本部は、同月三〇日、日髙から、御池が増水しているためゲートを上げて欲しい旨の要請を受けた。右要請は、同日中に、被告高原町から、被告高崎町の災害対策本部を経て、被告高崎町土地改良区に到達したが、同土地改良区は、高崎町から御池に至る道路が一部冠水していたため、御池に赴くことを見合わせた。
(乙四、五の1、三八、三九、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀)
(三) 平成五年七月一日から同月三日にかけて合計二四三ミリメートルの豪雨が続き、同月二日には原告らの店舗に隣接した駐車場が冠水し始めた。
前記松永春之及び同じく被告高崎町土地改良区の理事である山崎良信は、平成五年七月三日、御池に赴いた。御池の水位は約4.1メートルであり、スクリーンは水没し、取水口一帯は湖面化しており、ゲートを越流した湖水は取水口に激しく流れ込んでいた。松永及び山崎らは、原告古賀の協力を得て、モーターボートに同乗し、取水口付近の除木作業を行い、ゲート巻き上げシャフト付近に挟まっていた長さ約1.8メートル、直径約六〇センチメートルの流木等を除去し、ゲートをさらに約一〇センチメートル巻き上げた(合計約三〇センチメートル開門)。
また、被告高原町は、右同日、御池湖畔の冠水に対する対策として、御池荘前の御池湖畔荘へ通じる通路にバラスを置いたが、同日夜には、右通路は通行不能となった。
(甲二一、乙四、五の1、三九、四二、証人佐藤、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀)
(四) 平成五年七月四日及び同月六日にはそれぞれ日降雨量約一四〇ミリメートルの豪雨があり、御池用水路からの激しい放水が、滝下の御池川対岸を洗掘した。
また、御池やまなみ荘店舗東南側の国道二二三号線の横断暗渠が平成五年七月六日閉塞し、路肩が決壊した。御池やまなみ荘店舗内には、同日午後九時三〇分ころから午後一〇時ころまで泥水が侵入し、店舗内の清掃作業に丸一日を要した。
そして、平成五年七月九日ころには、湖畔の浜がほとんど水没するに至ったが、湖水がゲート上部を激しく越流して、取水口に流れ込んでいたこともあって、一日当たり二ないし五センチメートルずつ水位が下がり始めた。
(甲一九ないし二一、乙四、二四、二六、三九、四〇、四二、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀)
(五) 被告高崎町の災害対策本部は、平成五年七月一六日、被告高原町を通じ、再度御池増水の連絡を受け、被告高崎町土地改良区に連絡した。そこで、松永春之及び被告高崎町職員中村孝志らは、御池を訪れたところ、水位は再び約4.4メートルまで上昇していた。そこで、松永らは、ゲートをさらに約一〇センチメートル巻き上げた上で(合計約四〇センチメートル開門)、滝下の状況を視察して、放水が御池川対岸を洗掘していないことを確認した。御池用水路による排水量は、滝下の放水状況から目測すると、毎秒1.9立方メートル程度であった。
この日以降、被告高崎町土地改良区の役員は農地の冠水等他の災害の対策に追われるようになり、また御池の増水は通常の管理の限度を越えるものであると認識されるに至ったことから、被告高崎町及び同高原町が中心となって、御池の災害対策にあたるようになった。
(乙三三の1、三九、四二、証人佐藤、原告古賀)
(六) 平成五年七月一七日には日降雨量一二四ミリメートルの降雨があったが、その後も、湖水がゲート上部を激しく越流し、取水口に流れ込んでいたこともあって、同月二六日ころには水位が一旦低下し始めた。
ところが、平成五年七月二七日(日降雨量一二五ミリメートル。台風五号の影響。)、同月三一日(同二三七ミリメートル。)及び同年八月一日(同三三七ミリメートル。)と豪雨に見舞われた結果、御池の水位は再び上昇に転じ、また、右同日午後三時ころには、国道二二三号線が、一部陥没のため全面通行止めとなり(同年一二月七日まで継続。)、日髙は、関係機関から、店舗浸水の危険を理由とする避難通告を受けた。
湖水は、平成五年八月三日も、ゲート上部を激しく越流し、取水口に流れ込んでいた。被告高崎町職員中村が、翌四日、御池を視察したところ、ゲートは約四〇センチメートル開けたままの状態であったにもかかわらず、水位は約5.14メートルに達しており、御池用水路からの排水量は目測で約1.8立方メートルであったが、右放水は滝下の御池川対岸を洗掘してはいなかった。宮崎県小林土木事務所は、右同日、丸宮建設に依頼して、御池やまなみ荘店舗裏側に土堤を作った。他方、原告古賀及び日髙らは、この日、ゲート前に溜まっていた木切れ等の除去作業をしたほか、被告高原町職員と協議した結果、被告高原町が、自ら滝下の御池川対岸をブロックで補強した上で、被告高崎町に対し御池用水路の排水量を増やすよう要請することとした。ところが、原告古賀及び日髙らは、翌五日には、直接被告高崎町役場に出向き、御池用水路の排水量を増やすよう要請した。
(甲一七、二〇、二一、乙四、二四、三三の1、三六、三九、四二、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
(七) 被告高崎町災害対策本部は、平成五年八月六日、同町の消防班職員三名を御池をに派遣した。右職員らが、ゲートをさらに約二〇センチメートル巻き上げた(合計約六〇センチメートル開門)ところ、水圧等により水量は極端に増加しなければならないにもかかわらず、度重なる豪雨の中で、枯損木等がゲート上部を越流して、取水口内に縦状に並び、取水を制限していたため、ゲート巻き上げ量に見合った水量には達せず、通常の約1.4立方メートル程度の排水に止まった。そこで、右職員らは、流木等のため右水路が閉塞している可能性があると判断したが、湖水の透明度が低く、状況を正確に把握することはできなかった。また、右職員らには、滝下に赴き、洗掘を防止するため、御池川対岸の洗掘部分に大型ビニールシートを張った。同職員らは、翌七日にも御池を訪れ、水門前のごみ取りをして、再度ゲートを上げ、閉塞物を押し流そうと試みたが、排水量は増加しなかった。
なお、被告高原町は、このころ、御池川、湯之元川及び高崎川流域の住民から、水害被害が拡大している状況に鑑み、御池用水路の排水を一時停止するよう要請を受けた。
(甲二一、乙三九、四〇、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
(八) 御池やまなみ荘は、平成五年八月八日以降、床下(土間)浸水するに至った。原告らは、右同日、ゲートと取水口との間に流れ込んでいる大小の木を取り除き、台風七号による日降雨量一四四ミリメートルの豪雨があった翌九日にも、ゲート付近に木屑等の流入を防止する網を張ったが、御池の増水は止まらなかった。
なお、御池荘の食堂及び店舗もこのころから床下(土間)浸水するに至ったが、同荘の高床式家屋及び盛り土の上に建築されている御池湖畔荘(風呂場とトイレを除く。)は、浸水被害を受けなかった。
(甲一四、一五、二一、乙五の1、2、二四、証人佐藤、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
(九) 平成五年八月一〇日から同年九月一日までの間は、多少の降雨は認められたものの、集中豪雨はなかった。ところが、御池用水路からの排水は、平成五年八月六日ころ以降、取水口内に詰まった枯損木に木屑等が付着したことにより、次第に減少する傾向が見られたため、被告高原町及び同高崎町の災害対策本部は、同月一〇日、土木業者である平川建設に対し、取水口内の閉塞物除去と流木等の流入防止策を依頼した。平川建設は、同日午後、水門の上から足場用の鉄パイプを取付け、流木がゲート上部を乗り越えないようにするとともに、木屑等除去のための足場を設置した。
(甲二一、乙三九、四〇、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀)
(一〇) 平川建設は、平成五年八月一一日、被告高原町及び同高崎町の職員らとともに、ゲートを閉じ、ゲート上部に長さ1.1メートル、幅二〇センチメートルの横板一一枚をはめ込んで、取水口への湖水の流入を防止し、取水口内に詰まった流木等の除去作業を行う予定であった。ところが、ゲート下部に固形物が挟まっていたため、ゲートが約四五センチメートル開いたまま閉まらなかった。そこで、ゲート上部のみを締め切ったところ、水圧の影響でゲートと取水口との間の水位は約一メートル下がったものの、ゲート下部を開けたままでは、取水口への吸い込みが激しく、水中作業は二次災害に繋がる危険があり、右除去作業の続行は不可能であると判断された。そこで、被告高原町と同高崎町の災害対策本部は、西諸広域消防アクアラング隊に出動を要請した。(甲二一、乙三九、四〇、証人佐藤、同吉田)
(一一) 西諸広域消防アクアラング隊は、平成五年八月一二日、ゲート外側(湖側)に潜水し、ゲート下部の状況及びゲート下部に挟まった固形物の除去が可能かどうかを調査したが、ゲート付近の湖水は濁っていたため状況は不明で、また水圧による取水口への吸い込みが強かったことから、水中作業は不可能であった。
そこで、ゲート下部付近に土嚢を投げ込み、同上部に横板をはめて湖水の流入を防止しようとしたが、一時的には止水ができたものの、水圧のため直ぐに土嚢が破れ、元の水位に戻ってしまった。
そのため、被告高原町及び同高崎町の各災害対策本部は、取水口付近の水位が下がるのを待って、改めて除木作業をすることにした。
(甲二一、乙三九、四〇、証人佐藤、同吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀)
(一二) 平川建設は、平成五年八月一三日、被告高原町及び同高崎町の災害対策本部の依頼に基づき、御池用水路の放水量を増加させるべく、前日設置したゲート上部のはめ板の一部を除去したが、放水量が増えないため、仕方なく足場用鉄パイプ五メートルを二本繋ぎ、取水口内を数回突いたところ、木屑等が少し流れたためか放水量が増え始め、通常の放水水量に戻った。そのため、両災害対策本部は、当分の間、同様の方法で、現在の放水量を維持していくこととした。
その後も、被告高原町及び同高崎町の災害対策本部は、平川建設に依頼して、平成五年八月一七日、同月二六日及び同月三〇日と、ゲート前の木屑等除去作業と鉄パイプで取水口内を突つく作業を断続的に実施し、その都度被告高崎町職員が滝下の放水状況を調査した。
(甲二一、乙三三の1、三九、証人佐藤、原告古賀)
(一三) 一方、御池の水位は、平成五年八月一二日から一八日にかけて、最高位を記録した(水位基準高より5.7メートル前後。)が、同月八月一三日以降、御池用水路から継続的に毎秒約1.4ないし1.7立方メートルの排水があったため、豪雨の少なくなった同月一九日から三一日まで、御池の水位は、連日七ないし一〇センチメートルずつ(合計1.05メートル)低下した。(甲二一、乙四、五の1、2、三三の1、三九、四〇、四二、証人佐藤、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
(一四) 御池やまなみ荘は、平成五年八月二三日には浸水被害が収まったため、清掃作業の後、同月二九日から段階的営業を再開していたところ、同年九月三日の台風一三号による集中豪雨(日降雨量一九九ミリメートル)により、翌四日未明、店舗東南側の国道二二三号線の路肩が決壊し、土砂が店舗内等に大量に流入し、約三〇ないし六〇センチメートル堆積した。
そこで、被告高原町は、右同日及び翌五日、消防班職員約七〇名を動員し、右店舗内等の土砂を除去するなどの応急作業を実施した。
右九月三日の集中豪雨により御池の水位は翌四日には約4.9メートルまで上昇したが、その後の雨量は少なく、また平川建設が、右同日、同月一四日及び同月二〇日と断続的に木屑除去作業等を実施したこともあって、水位は徐々に下がり、同月二三日には水位基準高から約4.6メートルとなり、湖水の透明度も約一メートルまでに回復した。
(甲一九、乙四、二四ないし二八、三三の1、三六、三九、四〇、四二、証人吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、同古賀、検証の結果)
(一五) 被告高原町及び同高崎町の災害対策本部が依頼した株式会社宮崎マリーナの潜水夫が、平成五年九月二四日、取水口付近を潜水調査した結果、ゲート下部に長さ約一メートル、直径約四五センチメートルの流木が斜めに挟まっていること及びゲートを越流した水と同時に流れ込んだ大小の流木(直径約四五センチメートル、長さ約1.8メートルから直径約一〇センチメートル、長さ約一メートル)が取水口内に縦に挟まっていることが判明した。
そこで、両災害対策本部は、右同日、潜水夫に対し、可能な限りの除木作業を依頼したところ、潜水夫は、まず、ゲート下部の流木にロープをかけ、御池中心側に船で引っ張り、これを除去して、ゲートを締め切り、さらに、ゲート上部に長さ1.15メートル、幅二〇センチメートルの横板八枚をはめ込み、水門を完全に遮断し、取水口付近を水圧のない状態にしてから、取水口内に縦にはさまっている大小の流木をロープで引き上げ、流水を正常化したところ、湖水の透明度は増した。
(乙三三の1、三九、証人佐藤)
(一六) その後好天が続いたため、高崎川等の水位は下がり、御池の水位も平成五年九月二八日には約4.35メートルとなった。そこで、四本のはめ板を残してゲート上部からの越流をほとんど遮断したままで、下流水路及び滝下の状況を監視しながら、ゲートを約三〇センチメートル巻き上げ、毎秒約1.85立方メートルの排水を行った。さらに、その後も水位の低下に合わせ、右はめ板を順次取り外しながら放流を続けたところ、同年一〇月一〇日ころには御池の水位は約2.92メートルまで低下した。(乙五の1、2、三三の1、三九、証人佐藤)
6 宮崎県内各地の被害状況
平成五年六月から九月にかけての集中豪雨や台風は、宮崎県内各地に大水害を招来し、その被害状況は、農地の流失・埋没が六六八二箇所、九五億円余、農業用施設の被害が六三三七箇所、二一〇億円余、農作物の被害総額は一七三億円、土木関係が三万〇二六五箇所、一五七七億円余に達した。
そのうち、高崎町内の被害は総額四五億円余に、高原町内の被害は総額四七億円余に及んでいる。両町を流れる湯之元川及び高崎川は、合計二二箇所で決壊し、これによる被害総額は一一億円余に達し、また、右河川決壊が農地その他に及ぼした損害は、高原町内の高崎川に架けられた鉄筋コンクリート造の蒲牟田橋の流失を含め、農地の浸水・埋没、水路・堰堤の流失、農作物被害、メロンハウス及び暖房機の損壊等、総額二億七〇〇〇万円余に達した。
(乙八ないし一一、一三、三〇ないし三二、三五、三九、証人佐藤、検証の結果)
7 なお、原告狭野ストアーは、宮崎県から、平成五年七月六日及び同年九月四日の国道二二三号線の路肩決壊により御池やまなみ荘店舗内に土砂等が流入、堆積したことによる損害として八三二万四八六一円(建物、什器備品等に関する損害として七八〇万五一一一円、二か月分の営業損害として五一万九七五〇円)を、また、保険会社から損害保険金として一五〇万円を、それぞれ受領している。(乙二六、三四、三七の1、2、四〇、証人吉田、原告御池観光及び同狭野ストアー代表者、調査嘱託の結果)
二 判断
1 争点1(公の営造物)について
国家賠償法二条にいう「公の営造物」とは、行政主体により公の目的のために供用される有体物ないし物的設備をいい、河川、湖沼、港湾、海岸等、自然の状態のままで既に公共の用に供せられうる実体を備えた自然公物もこれに含まれる。御池も、観光資源として一般公衆の共同使用に供せられているほか、農業用水として利用されるなどしており、公の営造物に当たる。
2 争点2(管理者)について
(一) 御池及びその周辺は、自然公園法所定の国立公園内の特別地域に指定されているが、同法は、自然の景観を保護してその利用増進を図り、国民の保健、休養、教化に資する目的から、国立公園内で工作物を建築するなどの行為につき、環境庁長官の許可を要すると定めているに止まり、環境庁長官が、公共用物である国立公園や国定公園の機能管理を行う旨規定する趣旨とは解し得ない。
また、御池は、河川法の適用又は準用のある河川には当たらず、他に公共用物の管理に関する特別法の適用ないし準用も認められないのであるから、いわゆる法定外公共用物であるといえる。
(二) 国家賠償法二条にいう公の営造物の管理者とは、当該営造物について法律上の管理権ないし所有権、賃借権などの権限を有する場合に限られるものではなく、事実行為に基づき、事実上管理をしている場合も含まれる。
御池は自然の火口湖であり、設置者を観念できない自然公物であるが、唯一の人工的な排水施設である御池用水路を通じてその水位をある程度管理することが可能であり、実際、被告高崎町土地改良区は、昭和六〇年以降、原告ら御池の観光業者から排水量増加の要請があったときは、右用水路に設置された水門の開閉を通じて、御池の水位調整を実施してきた。そして、被告高崎町土地改良区による右用水路の維持管理は、昭和二三年以降、右用水路という定着物を所有している被告高崎町の委託を受けて実施されている。以上の事実によると、被告高崎町及び同高崎町土地改良区は、御池の水位につき、国家賠償法二条にいう公の営造物を事実上管理する者の立場にあるということができる。
(三) 御池は、行政区画としては被告都城市及び同高原町の境界部分に位置しているものの、被告都城市及び同高原町は、御池及び同用水路に関し、何らの法律上の管理権ないし所有権、賃借権等の権限を有しておらず、また、御池及び同用水路をこれまで事実上管理してきた事実が認められない。被告高原町は、原告らの被告高崎町土地改良区に対する排水要請に関し、取り次ぎを行ってきたことが認められるが、これは文字通り連絡の一環に過ぎず、被告高崎町土地改良区は、天候の動向、下流河川の水量及びその周辺農地の状況等を勘案して、自らの判断で本件水門の開閉を行ってきたのであるから、右取り次ぎをもって御池水位の事実上の管理に関与したとみることはできない。また、被告高原町は、平成五年の御池増水に対し、諸々の災害対策活動を行っているが、これは災害救助という他の行政目的のために行った活動であるから、右活動を行ったことを理由に事実上の管理を肯定することはできない。したがって、被告都城市及び同高原町は、国家賠償法二条にいう管理者に当たらない。
なお、地方自治法二条三項二号は、河川、溜池、用排水路等を設置し若しくは管理し、又はこれらを使用する権利を規制することを地方公共団体の事務として掲げているが、右の規定は地方公共団体の事務を例示しているにすぎず、右の規定から直ちに地方公共団体がその区域内の普通河川全てを法律上管理することになるわけではないから、右規定を根拠に被告都城市及び同高原町を法定外公共用物である御池の法律上の管理者であるとみることはできない。
そうだとすると、被告都城市及び同高原町の国家賠償法二条の管理者としての責任は、その余の点につき判断するまでもなく、理由がない。
3 争点3(被告高崎町及び同高崎町土地改良区の御池管理上の瑕疵又は過失)について
(一) 国家賠償法二条一項にいう営造物の管理の瑕疵とは、営造物が通常有すべき安全性を欠き、他人に危害を及ぼす危険性のある状態をいい、当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事情を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものである。
(二) 御池の水位を常時測定し、一定の水位に達したならば、水門を開けて湖水を放流するなどの管理態勢が取られていなかった旨の主張について
前記一で認定したとおり、御池は霧島屋久国立公園内の特別地域に指定されており、池の水位又は水量に増減を及ぼす行為は原則的に禁止されていること、御池用水路は灌漑用取水の目的で許可を受けて設置されたものの、取水量及び取水期間等につき、御池周辺の自然の生態系や下流河川の周辺農地の保全のため、諸々の条件が付されていることが認められる。確かに、被告高崎町土地改良区は、昭和六〇年ころ以降、御池増水の際には取水(排水)を実施するという運用をしてきたが、これも原告ら観光業者からの要請を契機として、かつ天候の動向、下流河川の水量及びその周辺農地の状況等を勘案して行われてきたことが認められる。そうだとすると、被告高崎町及び同高崎町土地改良区が実施すべき御池の水位管理は、あくまで灌漑用取水という本来の目的に反しない限度においてのものと言わざるを得ない。したがって、被告高崎町及び同高崎町土地改良区としては、御池の水位を常時測定する義務を負うものではなく、原告らから御池増水の情報を受けた際にこれに対応できる態勢を整えておけば足りるものと解されるし、被告高崎町及び同高崎町土地改良区が平成五年当時かかる態勢を整えていたことは明らかである。
また、本件水門を開け、排水量を増やす義務についても、前記一で認定したとおり、本件水門は冬期から継続して約二〇センチメートル開けられており、日髙から本件増水に関し最初に連絡を受けた平成五年六月三〇日以降も、徐々に水門を開け、最大時には約六〇センチメートル開門しただけでなく、本件水門は御池の水位が3.2メートルを越えた場合には、湖水がゲートを越流して取水口に流れ込む構造になっているので、遅くとも同年七月三日以降は湖水はゲートを越流して激しく取水口に流れ込んでいた。その結果、同月四日ころには御池用水路から通常の排水量(毎秒約1.4立方メートル)を大きく上回る放水がなされ、滝下の御池川対岸が洗掘されている。一方、御池用水路は、下流河川の増水のおそれがあるときには取水を禁止する条件付きで設置されていたものであって、平成五年の水害では湯之元川及び高崎川が二二か所で決壊し、農地の浸水・埋没等の被害が発生していただけでなく、下流河川流域の住民の中には取水停止を求める者がいた。右各事実関係に照らせば、被告高崎町及び同高崎町土地改良区は、原告らの要請に応じ、用水路設置の目的に反しない範囲で、天候の動向、下流河川の水量及びその周辺農地の状況等を勘案した上、適宜排水量を増加させてきたものと認められ、原告主張の瑕疵ないし義務違反は認められない。
(三) 本件水門を流木等が流れ込んで取水口を塞ぐことのないような構造にしておかなかった旨の主張について
前記一認定のとおり、被告高崎町は、昭和五六年の水門改修の際、取水口に流木等が流れ込むのを防止するため、新たに本件水門前に高さ2.6メートルのスクリーンを設置したこと、御池は数年から約一〇年の周期で豪雨による増水を繰り返しているが、これによる家屋の浸水被害はほとんどなく(昭和四四年と平成五年に一部家屋が床下浸水したに止まる。)、浜辺や駐車場が一時的に水没したに止まり、本件取水口も本件水害の際以外に流木等で閉塞したことはないこと、平成五年の五月から八月にかけての集中豪雨は例年の約2.35倍に当たるものであることが認められる。また、御池は国立公園特別地域に指定されており、景観に対する配慮も不可欠である上、増水による湖畔の一部冠水も含めて御池周辺の自然の生態系が構成されていることを併せ考慮すると、本件水門の構造に瑕疵があるとは認められず、被告高崎町及び同高崎町土地改良区に、右設置又は管理上の過失は認められない。
(四) 本件取水口に大量の流木等が詰まって機能不全に陥ったにもかかわらず、これらの閉塞物を速やかに除去して、取水口の機能を回復させるべき適切な管理が行われなかった旨の主張について
前記一で認定したとおり、確かに、平成五年八月六日から同月一三日までの間、取水口付近に流木が詰まり、これに木屑等が付着したことにより、排水量が通常を下回る状態が生じている。しかしながら、被告高崎町は、滝下の御池川対岸にビニールシートを敷いて洗掘を防止しつつ、ゲートを合計約六〇センチメートル開門して閉塞物を押し流そうとしただけでなく、土木業者に依頼し、ゲートを締め切り、越流も防止して、閉塞物を除去しようとしたり、アクアラング隊に水中作業を依頼したりするなど、可能な限りの除去作業を試みたことが認められ、それにもかかわらず、水中の視界が悪く、また湖水の取水口への吸引力が激しく、二次災害のおそれがあったなどの事情により、天候が回復し、御池の水位が低下して、右水圧が緩和されるまで閉塞物の除去が不可能であったものである。しかも、被告高崎町らは、平成五年八月一三日以降、次善の策として、鉄パイプで取水口内を突く作業を継続したところ、木屑等が少し流れたためか排水量が増え始め、通常の排水量に戻り、その後も右作業を断続的に継続することにより、1.4ないし1.7立方メートルの排水を維持した。
右事実関係に照せば、被告高崎町らは、御池及び同用水路の管理につき、その置かれた状況のもと、排水機能回復のため最大限の努力をなしたと認めざるを得ず、原告ら主張の瑕疵又は過失があったものとは認められない。
三 以上によれば、原告らの本訴請求は、その余の点につき検討するまでもなく、いずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条一項本文に従い、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官横山秀憲 裁判官古閑裕二 裁判官立川毅)
別紙①御池用水路路線図<省略>
別紙②御池用水路縦断図<省略>
別紙③御池用水路水門詳細図<省略>
別紙④1〜3平成五年五月〜一〇月の毎日雨量<省略>
別紙⑤平成五年五月〜一〇月御池水位変動と皇子港建物との関係<省略>